もう一つの偽装食品問題(2)
2007年 7月 6日(金曜日)前回の「2007年07月05日 もう一つの偽装食品問題(1)」では、食品偽装事件が起こる原因を考えてみた。中国固有の問題、また資本主義の問題と限定することは難しそうである。
では、根本原因は何であろうか。
生産者と消費者が分離したことに因ると考えられるだろうか。では、生産者と消費者が分離すると、なぜ偽装が起こるのであろうか。
食品ではないが、同じく偽装ということでは、建築物の耐震偽装も問題となった。被告の証言等から読み取れるのは、以下の3つである。
- 消費者(=素人)には、複雑化・専門化した個々の事象はわかりにくい、という事象
- バレなきゃいいだろう、という人間の性悪的な側面
- 経済的に追い詰められている、もしくは追い詰められているという認識
では、上記のいずれかの条件を排除することで偽装問題への対策となるだろうか。
と、このまま論を進めて行くと、社会制度の整備、啓蒙活動、といった一般的な話になりそうなので、別の見方をしてみることにする。
ここまでの論は、消費者=素人=被害者=善 v.s. 生産者=専門家=加害者=悪という図式であったが、本当にそうだろうか?もしくは、そう見えるのはなぜだろうか?ここで私は、両者のリスク回避の方法及びコストについて、考えてみた。リスクとはこの場合、欲しいものが手に入らないリスク、生産が思うようにできないリスクである。リスクに対して消費者は、チャネル、ネットワークを増やすという方法を取ることが多いだろう。Aで手に入らなければ、Bに行く。消費者が行うのは「選択」であり、選択肢が多いほど、また分散されているほど安全だと言える。そのネットワークを増やすのは、それほどコストのかかることではない。これに対して、生産者はリスクに対して、自然環境に手を入れたり、品種改良、生産方法の改善などを行うことになる。これらはリスクを完全に消し去ることができない可能性が高いだけでなく、高いコストがかかる場合が多いだろう。この違いはなぜ生じるのか?消費者がものと交換するために使用する「貨幣」は、人工的なものであり、その供給量は国家によってコントロールされている。一方生産者が貨幣を得るために使用する「もの」は、完全にコントロールすることが難しい。
この状況において、国家は「もの不足」にならないように貨幣量をコントロールしている。つまりたとえどこかで生産が十分でない状況が発生したとしても、全体量は保証され、適正価格で流通可能になるようにコントロールしている(もの不足=>インフレ=>貨幣価値の低下は、国家の存亡に関わりかねない)。したがって、消費者のリスクは抑えられている。
また、この状況ですべての生産地で生産が十分できた場合は、「もの余り」となる。この場合も、 価格が低下するため、消費者としてはむしろ歓迎である。
したがって、消費者は、ネットワーク力を強化することで、比較的低コストで、リスクを最小限にとどめることができるのに対し、生産者は高いコストを払って、しかも生産量が多すぎても少なすぎても困る状況にさらされているのである。
この構造にある限り、「虫のいい」消費者に、「追い込まれた」生産者が、常に忠実であることを期待する方が、それこそ虫が良すぎないだろうか。
では、この構造を変えられるのだろうか。
真っ先に考えられるのは、生産者も消費者に負けないネットワークを築く、ということである。
ただ、今時「全世界の労働者よ、団結せよ!」なんて言ったら、ちょっと引かれるだろう。
国家が介入して生産量も調整すべきだというのも、国家の信頼が崩れている現状、難しいだろう。
そうではなくて現代では、インターネットを使った産地直送というのが、生産者がネットワークを持った状況、生産者と消費者が対等の立場に立てる状況だと考えられる。
それ以外にも遠隔の生産者同士がネットワークを構築することは、リスク回避の効果が大きいと考えられるが、遠隔地を容易に低コストで結ぶインフラとして、やはりインターネットは見過ごすことはできない。
インターネットが、「革命」と呼ばれるのは、こういう面もあるからだろうか。
(※ここまで書いておきながら、筆者は経済の専門家ではありません。間違いなどございましたら、ご指摘ください。)
<<つづく>>