[ゆかし日記]

あなたのお仕事に関するアンケート

2007年 9月 25日(火曜日): inoppi

アンケートのお願いです。

青山プレップスクールでは、塾生に広く社会を知ってもらうため、そして自分たちの将来について考える機会を設けるために、現在働いていらっしゃる方々のお話をうかがうことができたらと考えております。

当アンケートは、集計の後、塾生に公開(一部Webを含む)いたします。
お名前やメールアドレスなどの個人情報は、厳重に管理し、一切公開いたしません。
その他の目的で、当アンケートを利用することはございません。

但し、塾生からの希望で、より詳細なお話をお聞きしたい、と言う場合に、こちらから連絡させていただく場合がございますことをご了承ください。

何卒、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

『あなたのお仕事、教えてください』

2007年 9月 20日(木曜日): inoppi

唐突ですが、死について、考えてみました。

果たして、私は死ぬのだろうか?

人が死ぬことは、知っている。

私も何人か、そうなった人を知っているし、その人と直接会うことや話すことは、もうできない。

人は、必ず死ぬもので、私もいつかそうなるのだろう。

それはいい。

それはいいんだけど、主観的に見た場合の死とは、一体なんであろうか?

あまり魂とか、そういうことを考えない場合、

死んだら、自分というものは、永遠になくなる。無になる。

たとえば、ある瞬間から、「死」という状態になるとすると、今まで存在したものが、その瞬間に無になる。

無になった時に、私はどうなるのだろう?

無になるんでしょう。

無であるということは、自覚はないだろう。

逆に自覚のあるうちは、おそらく死んでない。

つまり、生きてる自分しか、自覚することができない。

それって、自分は死なない、って言えないだろうか?

もう一つ、時間というものも、考えてみよう。

時間って何でしょう?

時計がカチカチ動いてる、それが時間でしょうか?

楽しいことをしている時は、時間があっという間に過ぎる。

逆に嫌なことをしている時は、いつまで経っても時間が過ぎない。

誰にでもある経験ですよね。

つまり、客観的な時間と、主観的な時間は、一致しない(場合がある)。

死の瞬間、主観的な時間はどうなってるんでしょう?

よく、大きな事故にあったときなど、「スローモーションですべてが見えた」という話を聞きませんか?

もし、生命に重要なことが起こる時、感覚が研ぎ澄まされて、時間として長く感じる、ということがあるとすれば、

死こそ、生命にとって、最重大事ですよね。

死の瞬間に、もし感覚が研ぎ澄まされ、時間として長く続くとすれば、それは死ぬまで続くわけだから、

主観的には、「永遠に」その時間が続く、と言えないだろうか?

客観的に見て、一瞬の出来事でも、その時間を細かく、細かく、細かく、分割して、その間にいろいろなことを考えたりできるなら、死の瞬間は、永遠に続く、と言えないだろうか?

ゼノンの言う「飛んでいる矢は止まっている」みたいな話ですが。

(ゼノンの逆理(パラドックス))

その時、何を考えるんでしょうね。。。

自分は死なない、というのは、恐ろしいような、気楽なような。。。

眠れない夜に

2007年 9月 15日(土曜日): inoppi

大事なときに、気が張っちゃって眠れない。

そういうことありますよね。

私の必勝(8割方)眠り方をお教えしましょう。

体を楽にして、足の先から、力を抜いていきます。

もっと抜けるはず、もっと抜けるはずってやると、思ったより抜けます。

足から順に上のほうに上がってきます。

そして、頭まで来たら、

今度は仲の良い人の笑顔を思い浮かべます。

1人の人ができたら、止まらずに次の人、次の人。。。

そうやってる間に、いつの間にか、寝ています。

それでもだめなときもあります。

めでたい日

2007年 9月 14日(金曜日): inoppi

今日は、私の人生でも5本の指に入る、ありがたい日でした。

長年、文字通り必死でやってきたことが報われた気がします。

自分の道を自分で切り開く。すごいことですよね。

必ず今までにない、未来を創造できるでしょう。

涙が止まらない一日でした。

9・11

2007年 9月 11日(火曜日): inoppi

今日は、9月11日ですね。

あの「9・11」の時、皆さんは、どこで何をしていましたか?

私は、お客さん先で仕事(打ち合わせ)をしていました。

打ち合わせ後、何となく周りがバタバタしていて、お客さんの部下の方がお客さんに、「何かニューヨークで飛行機がビルに突っ込んだらしいですよ。」と。

ものすごいことだとは思いましたが、正直その時点では、よく理解できませんでした。大変な事故だと思いました。

その日は結局、夜遅くなったのでタクシーで帰りましたが、帰った後、ずーっとテレビを見ていました。

  • 何度も何度も繰り返される映像
  • それが、テロによるものであること
  • そして、ビルの崩壊

それが現実に起こっていることだとは、やはり俄かには信じがたかったですが、深夜に何度も何度も見ていると余計に物事がわからなくなってきました。

小さな会社でしたが、「テロに対する断固たる姿勢を表明すべきだ」、と私は主張していました。

でも、正直に言うと、テロとは何か?断固たる姿勢とは何か?本当に断固たる姿勢を貫けるのか?よく考えていませんでした。

その後国際社会は、アフガン戦争~イラク戦争へと流れていきます。

確かに、物事を暴力では解決しない、という方法を模索し続けたのが、人類の歴史だと思います。そのための社会システムが考えられ、弱者救済措置が考案され、核戦争も今のところは回避されています。直接の暴力を使うのではなく、核をはじめとした強力な武器を巨大な抑止装置として、平和的に利用する、それが大人のやり方のようです。

でも、冷静に考えて、それってどうでしょう?

例えば、ですよ。

私が誰かと交渉をしようとしていて、ちょっとまだお互いの主張に隔たりがある時、

相手方の後ろには、身長2mを超える大男が3人もいて、怖い顔をしている。

私が何か言おうとすると、鎖鎌を振り回したり、カンフーの型をやったり、拳銃を構えたり、それも直接私にではなく、家族に対してそういうものを見せたりしていたら、

それはまともな交渉になるでしょうか?それを何かの抑止力と呼ぶでしょうか?常識的には、それは「脅迫」と呼ぶのではないかと思います。

経済にしても、同じこと。

大きな資本を動かせる組織と、小さな資本しか動かせない組織が、同じ土俵で戦うことは可能なのでしょうか?

一人の人間が考えても、答えは出ないような気がします(よほどの天才なら別ですが)。

ところが、人類1万年の歴史は、過去の様々な状況の中で、必死に生きた人々の相違と工夫を学ぶことができます。そして、必ずしも強者が勝つわけではないことも、歴史は証明しています。

もっと飛躍して、例えば鮭の受精を見てみましょう。

1匹のメスに対して、受精したいと思っているオスは複数います。

その時、体の大きいことが大変なメリットになります。

体の大きいオスは、体の小さいオスを、いとも簡単に遠ざけることができます。

ところが実際には、体の小さいオスが、その瞬間を捕らえて、すばやく行動することによって、目的を達することがあります。

今の現実にぶちあったった時、自分ひとりではどうしようもない時、

そういう時に、学問は真価を発揮するのではないでしょうか。

逆にそういう「渇望」がない限りは、学問って難しいのかもしれません。

だって、のんびりと自分の身の回りのことだけ考えてれば、それだけで結構充実するし、それなりに忙しいし。だから、そういう人は、幸せだなーと思います。

話は大分それました。

9・11及びその後の歴史は、100年後、200年後の教科書には、どのように記述されるのでしょうか?

国語練習

2007年 9月 10日(月曜日): inoppi

ネタをいろいろ考えています。

  •  物語の一節に、適切な「見出し」をつける
  •  新聞記事に、見出しをつける
  •  見出しから、物語や記事を書いてみる
  •  形容詞を実感する
  •  擬音語、擬態語で遊ぶ
  •  英語で学ぶ、日本語講座

どうでしょう?

個人的には、形容詞が気になっています。

ウィキペディア

2007年 9月 9日(日曜日): inoppi

無料で使える、みんなで作る電子辞書(ウィキペディア)って便利ですよね。いつもお世話になっております。

ところが、ちょっとびっくりするニュースが、ありました。

日本の省庁が、一生懸命このウィキペイディアを編集しているそうな。

朝日新聞より

「職員個人の職務外行為」で、せっせと役所に都合のいい修正を加える方もびっくりだが、そういうの見破っちゃうのもまたびっくりです。

ネット社会って、だんだんに、監視社会の色彩が強くなってきていると思いませんか?

コリオリの力とつむじ

2007年 9月 8日(土曜日): inoppi

9月5日の黒板ネタにもしましたが。

台風が渦になるのは、「コリオリの力」という力の影響だそうです。

ものすごく単純に言うと、低気圧に吹き込む風が、地球の自転の影響で、曲がって見えると言うもの。

よくわかりませんね。

そこで一気に飛躍して、世の中の渦巻きって、何でできるんだろう?

人間には、つむじってありますよね。

犬や猫には、ないような気がします。

もし、もしですよ。

つむじができたのが、人間の直立二足歩行と関係があって、渦の向きがコリオリの力を受けてたりしたら、すごい発見じゃないですか?

人類のルーツに迫れるかもしれません。

その前に、コリオリさんを理解しないと。

ちなみに、コリオリの力と、フーコーの振り子って関係があるんですね。

高校生の頃に「フーコーの振り子」というとても分厚い本をなぜか買ったのを思い出しました。

数学って何だ?

2007年 9月 7日(金曜日): inoppi

最近、高校入試問題を解いています

難しいです。

数学は、少なくとも高校3年時は、それほど苦手意識はなかったのですが。。。

逆に、苦手意識のあった、国語/英語は、高校入試レベルだと何ともないことにも、気づきました。

これはどうして???

何が難しいかと言うと、

1.時間内にすべてを終わらせる計算力がなくなってる

2.図形問題や図形の定理をすっかりと言っていいほど忘れている

どうして?

単純にいえば、使わないから。

なんで使わないの?

数学でやらなきゃいけないことは、たいていコンピュータがやってくれるからです。

なんで、国語や英語じゃなくて、数学はコンピュータがやってくれるの?

それは、単純だからです。

いろいろ意見はあると思うのですが、私が思う「数学を勉強する理由」は、

「単純なことを美しいと感じる心を養うため

だと思っています。

世の中、複雑です。わからないことだらけです。

そういうときに、シンプルであることというのは、ものすごい価値があります。

だって(条件はソートー限られるにせよ)、何らか答えを出せるわけですから。

ところが、これが難しい。

特に子どもに伝えるのが難しい。

例えていうなら、イカの塩辛がうまいってのは、子どもにはわかりにくい。

だってそりゃ、子どもにしてみれば、甘い方がおいしい。

だけど、さんざんいろいろ甘いものを食べると、どうもしつこくって、辛いものをちょっと食べるのが、通だよね、何てのは、経験がないとわからない。

子どもの世界は単純で、だから、ごちゃごちゃ、キラキラしたものが好きで、それなのに数学は、単純化しようとする。価値観が全然違うんですよね。たぶん。

もっと言えば、さらに現代においては、きちんとしてるのが当たり前で、雑然としている環境に慣れていない。

自然なんて放っておけば、ごちゃごちゃなのに、(数学のおかげで)すごく整備されたものしか見ていない。エスキモーには、氷の価値はわからない。

同様に、基本的に子どもには、数学の価値はわからない。

だけど、自然とか社会はもっともっともっともっと複雑で、数学使うとこんなにシンプルになる、何でもこの式で表せる。

AさんとBさんは違うけど、顔も性格も違うけど、誰でもxって置いちゃえる。

すごい!

ってのは、その自然や社会の複雑さとやらを知らないことには、わかりようながい。

だから、数学やる前に、自然(生自然)や社会(実社会)をもっともっとやっておかないと、本当の数学の価値ってわからないんだろうな、なーんて思います。

もしくは、「これがうまいって言う味だ、覚えとけ!」って、塩辛を食べさせながら、徹底的に叩き込む。

現実に教育の現場で行われてるのは、後者ですよね。。。たぶん。

あるいは、徹底的に美的センスを磨く、という方法もあるのかもしれない。

ひたすら、絵画や建築を見せて、美しさに関する感性を磨き、もし偶然にも「シンプル」を好きになった子は、数学を好きになるだろうか?

実験してみようか。うちのチビで。。。

無理だな。親がこれだもの。

人生いろいろ

2007年 9月 6日(木曜日): inoppi

昨日はタクシー帰りでした。(最近多い。。。)

あまりに疲れていたので、タクシーの運転手さんと、とりとめもない話を。。。

っと、思ったら、話がそれて、それて、

最近の中高生の話になり、

塾の話になり、

運転手さんのご家族の話に。。。

ここには書けませんが、人生本当にいろいろだなあと、感じました。

ドラマみたいなことって、でも現実の方が、よっぽどすごいですね。

すごすぎる現実は、ドラマにしようとすると、うそっぽくなっちゃうんでしょうね。