[一般]

職業の卑賤

2007年 7月 9日(月曜日): inoppi

職業の卑賤を口にする人がいる。

教師は聖職だ。医師は尊い。弁護士は頭が良い。政治家は偉い。

本当だろうか?

ポイント1:なぜ?論理的説明ができるのか?

ポイント2: 実際は?

ポイント2は、言わずもがなとして、ポイント1についても、ちゃんと説明できる人、教えてください。

もう一つの偽装食品問題(2)

2007年 7月 6日(金曜日): inoppi

前回の「2007年07月05日 もう一つの偽装食品問題(1)」では、食品偽装事件が起こる原因を考えてみた。中国固有の問題、また資本主義の問題と限定することは難しそうである。

では、根本原因は何であろうか。

生産者と消費者が分離したことに因ると考えられるだろうか。では、生産者と消費者が分離すると、なぜ偽装が起こるのであろうか。

食品ではないが、同じく偽装ということでは、建築物の耐震偽装も問題となった。被告の証言等から読み取れるのは、以下の3つである。

  1. 消費者(=素人)には、複雑化・専門化した個々の事象はわかりにくい、という事象
  2. バレなきゃいいだろう、という人間の性悪的な側面
  3. 経済的に追い詰められている、もしくは追い詰められているという認識

では、上記のいずれかの条件を排除することで偽装問題への対策となるだろうか。

と、このまま論を進めて行くと、社会制度の整備、啓蒙活動、といった一般的な話になりそうなので、別の見方をしてみることにする。


ここまでの論は、消費者=素人=被害者=善 v.s. 生産者=専門家=加害者=悪という図式であったが、本当にそうだろうか?もしくは、そう見えるのはなぜだろうか?ここで私は、両者のリスク回避の方法及びコストについて、考えてみた。リスクとはこの場合、欲しいものが手に入らないリスク、生産が思うようにできないリスクである。リスクに対して消費者は、チャネル、ネットワークを増やすという方法を取ることが多いだろう。Aで手に入らなければ、Bに行く。消費者が行うのは「選択」であり、選択肢が多いほど、また分散されているほど安全だと言える。そのネットワークを増やすのは、それほどコストのかかることではない。これに対して、生産者はリスクに対して、自然環境に手を入れたり、品種改良、生産方法の改善などを行うことになる。これらはリスクを完全に消し去ることができない可能性が高いだけでなく、高いコストがかかる場合が多いだろう。この違いはなぜ生じるのか?消費者がものと交換するために使用する「貨幣」は、人工的なものであり、その供給量は国家によってコントロールされている。一方生産者が貨幣を得るために使用する「もの」は、完全にコントロールすることが難しい。

この状況において、国家は「もの不足」にならないように貨幣量をコントロールしている。つまりたとえどこかで生産が十分でない状況が発生したとしても、全体量は保証され、適正価格で流通可能になるようにコントロールしている(もの不足=>インフレ=>貨幣価値の低下は、国家の存亡に関わりかねない)。したがって、消費者のリスクは抑えられている。

また、この状況ですべての生産地で生産が十分できた場合は、「もの余り」となる。この場合も、 価格が低下するため、消費者としてはむしろ歓迎である。

したがって、消費者は、ネットワーク力を強化することで、比較的低コストで、リスクを最小限にとどめることができるのに対し、生産者は高いコストを払って、しかも生産量が多すぎても少なすぎても困る状況にさらされているのである。

この構造にある限り、「虫のいい」消費者に、「追い込まれた」生産者が、常に忠実であることを期待する方が、それこそ虫が良すぎないだろうか。

では、この構造を変えられるのだろうか。

真っ先に考えられるのは、生産者も消費者に負けないネットワークを築く、ということである。

ただ、今時「全世界の労働者よ、団結せよ!」なんて言ったら、ちょっと引かれるだろう。

国家が介入して生産量も調整すべきだというのも、国家の信頼が崩れている現状、難しいだろう。

そうではなくて現代では、インターネットを使った産地直送というのが、生産者がネットワークを持った状況、生産者と消費者が対等の立場に立てる状況だと考えられる。

それ以外にも遠隔の生産者同士がネットワークを構築することは、リスク回避の効果が大きいと考えられるが、遠隔地を容易に低コストで結ぶインフラとして、やはりインターネットは見過ごすことはできない。

インターネットが、「革命」と呼ばれるのは、こういう面もあるからだろうか。

(※ここまで書いておきながら、筆者は経済の専門家ではありません。間違いなどございましたら、ご指摘ください。)

<<つづく>>

もう一つの偽装食品問題(1)

2007年 7月 5日(木曜日): inoppi

前回の「2007年07月04日 コロッケ揚げたよ」は、ミートホープ社及び田中社長を擁護するような印象を与えかねないので、改めて。

「偽装」は犯罪であり、不当利得を得たという経済的な問題だけでなく、信じて購入した消費者にアレルギーが出た場合に原因がわからなくなってしまう等、健康な生活を害する可能性がある問題である。

何より「偽装」は、直接には人類の発展には寄与しない。叡智を共有し、さらに発展させることによって、未来は獲得されてきたのである。

この食品偽装について、もっと派手にやっていると昨今話題なのは、中国産の食品である。

報道によれば、過度の農薬使用、色・重さをごまかすために重金属を表面に塗布、発がん性があるため食用には使用してはならない薬品の使用。。。やりたい放題の感がある。

これは、中国人が健康や安全への教育の不足が原因だろうか?中国政府が見て見ぬ振りをしているのだろうか?資本主義社会の宿命なのだろうか?

日本でも以前は、「森永砒素ミルク事件」、「カネミ油症事件」など、消費者の健康を害する問題は起こっている。BSD(狂牛病)は、イギリスで最初に確認された。したがって、中国だけの問題とは言えないだろう(量が甚だしく多いという面はあるかもしれない)。

また、旧共産圏諸国において、食の安全が完全に保証されたかと問えば、必ずしもそうとは言えないだろう(旧ソ連や北朝鮮での公害に対する報じられる 対応を見聞きする限り)。したがって、資本主義が問題の原因とも言えなさそうだ(但し、ここでは狭い意味で資本主義を捉えている)。

では、根本的な問題は何なんだろうか。

<<つづく>>

コロッケ揚げたよ

2007年 7月 4日(水曜日): inoppi

先月来、コロッケが問題になっている。

ミートホープ社による「牛肉ミンチの品質表示偽装事件」。

またもや、という印象であるが、報道番組や検証番組を見ると、違った印象も芽生えてきた。

「安い肉をおいしく食べる」ノウハウは、 他に利用のしようがないのだろうか。

何とかおいしく食べたい、そのための創意工夫は、人類の歴史の一面である。

正しく表示し、ノウハウを売ることはできなかったのだろうか。捨てるしかなかった部位を、おいしく食べるノウハウは、食糧問題、環境問題の解決策につながらないだろうか。

もちろん、生命の根幹に関わる食物の、安心・安全を守ることは大切なことあり、「偽装」は断罪されるべきである。

ただ、折角のノウハウが、人類の発展、文化の発展、環境保全の域まで達することなく潰えてしまうとすれば、少々残念な気がするのは、著者だけだろうか。


記事は、偽装問題とは関係なく、富山県高岡市の小学生が、コロッケを揚げる体験をしたというほほえましいものである。
高岡市は、知る人ぞ知る「コロッケの街」だそうです(ちなみに、著者の出生地でもあります)。
◎コロッケ揚げたよ 高岡市成美小2年生が精肉店見学
記事の最後にある、おそらく小学生のコメントは、「肉を切る機械の多さに驚いた」。
「プロの道具」というのは、やはり見学の見所の大きな要素である。

房総の旅

1999年 11月 30日(火曜日): inoppi

今年のお正月は、久しぶりにお休みを取りました。

両親、妹夫婦、家族で、千葉の房総半島へ行ってきました。

・1月1日 館山集合~館山で一泊

・1月2日 館山でイチゴ狩り~勝浦で一泊

・1月3日 勝浦周辺をいろいろで、帰宅

いろいろな発見や事件もありました。

そのうち、書いていこうと思います。

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