入院
2007年 11月 5日(月曜日): inoppi洗濯物を干していたら、背中に激痛が。
しばらく我慢していたけど、
歯を磨いた時、更なる激痛が。
気胸かな、結石にしては場所が上だし、しばらく入院だったらどうしようなど考えながらも、脂汗が。。。
結局2時間ほどしたら、治まってきました。
このまましばらくやり過ごすしかない。。。
洗濯物を干していたら、背中に激痛が。
しばらく我慢していたけど、
歯を磨いた時、更なる激痛が。
気胸かな、結石にしては場所が上だし、しばらく入院だったらどうしようなど考えながらも、脂汗が。。。
結局2時間ほどしたら、治まってきました。
このまましばらくやり過ごすしかない。。。
有名な『建築現場の3人の男の話』
中世ヨーロッパのとある町。
建築現場で働く男に、通りがかりの人が聞いた。
「何をしているのか?」
Aさん: 「見ればわかるだろ、レンガを積んでるんだよ。」
Bさん: 「金を稼いでいるのさ、あんたも同じだろ。」
Cさん: 「町の大聖堂を作っているのさ。」
いろいろな捉え方がありますね。
では、この話の応用で、「勉強」の場合、どうでしょう?
Aさん: 「この問題集をやってるんだ」
Bさん: 「いい大学に入って、いい会社に入るんだ」
Cさん: 「立派な人間になって、将来人の役に立つことがしたいんだ」
こんな感じでしょうか?
いまどき、Cさんみたいなことを言う人って、いるのでしょうか?
私の祖父が、最期に私に言った言葉は、そういう言葉でした。
ちなみに、祖母は私に、「偉い人にならなくていい。立派な人になりなさい。」と言いました。
アンケートのお願いです。
青山プレップスクールでは、塾生に広く社会を知ってもらうため、そして自分たちの将来について考える機会を設けるために、現在働いていらっしゃる方々のお話をうかがうことができたらと考えております。
当アンケートは、集計の後、塾生に公開(一部Webを含む)いたします。
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その他の目的で、当アンケートを利用することはございません。
但し、塾生からの希望で、より詳細なお話をお聞きしたい、と言う場合に、こちらから連絡させていただく場合がございますことをご了承ください。
何卒、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
唐突ですが、死について、考えてみました。
果たして、私は死ぬのだろうか?
人が死ぬことは、知っている。
私も何人か、そうなった人を知っているし、その人と直接会うことや話すことは、もうできない。
人は、必ず死ぬもので、私もいつかそうなるのだろう。
それはいい。
それはいいんだけど、主観的に見た場合の死とは、一体なんであろうか?
あまり魂とか、そういうことを考えない場合、
死んだら、自分というものは、永遠になくなる。無になる。
たとえば、ある瞬間から、「死」という状態になるとすると、今まで存在したものが、その瞬間に無になる。
無になった時に、私はどうなるのだろう?
無になるんでしょう。
無であるということは、自覚はないだろう。
逆に自覚のあるうちは、おそらく死んでない。
つまり、生きてる自分しか、自覚することができない。
それって、自分は死なない、って言えないだろうか?
もう一つ、時間というものも、考えてみよう。
時間って何でしょう?
時計がカチカチ動いてる、それが時間でしょうか?
楽しいことをしている時は、時間があっという間に過ぎる。
逆に嫌なことをしている時は、いつまで経っても時間が過ぎない。
誰にでもある経験ですよね。
つまり、客観的な時間と、主観的な時間は、一致しない(場合がある)。
死の瞬間、主観的な時間はどうなってるんでしょう?
よく、大きな事故にあったときなど、「スローモーションですべてが見えた」という話を聞きませんか?
もし、生命に重要なことが起こる時、感覚が研ぎ澄まされて、時間として長く感じる、ということがあるとすれば、
死こそ、生命にとって、最重大事ですよね。
死の瞬間に、もし感覚が研ぎ澄まされ、時間として長く続くとすれば、それは死ぬまで続くわけだから、
主観的には、「永遠に」その時間が続く、と言えないだろうか?
客観的に見て、一瞬の出来事でも、その時間を細かく、細かく、細かく、分割して、その間にいろいろなことを考えたりできるなら、死の瞬間は、永遠に続く、と言えないだろうか?
ゼノンの言う「飛んでいる矢は止まっている」みたいな話ですが。
(ゼノンの逆理(パラドックス))
その時、何を考えるんでしょうね。。。
自分は死なない、というのは、恐ろしいような、気楽なような。。。
大事なときに、気が張っちゃって眠れない。
そういうことありますよね。
私の必勝(8割方)眠り方をお教えしましょう。
体を楽にして、足の先から、力を抜いていきます。
もっと抜けるはず、もっと抜けるはずってやると、思ったより抜けます。
足から順に上のほうに上がってきます。
そして、頭まで来たら、
今度は仲の良い人の笑顔を思い浮かべます。
1人の人ができたら、止まらずに次の人、次の人。。。
そうやってる間に、いつの間にか、寝ています。
それでもだめなときもあります。
今日は、私の人生でも5本の指に入る、ありがたい日でした。
長年、文字通り必死でやってきたことが報われた気がします。
自分の道を自分で切り開く。すごいことですよね。
必ず今までにない、未来を創造できるでしょう。
涙が止まらない一日でした。
無料で使える、みんなで作る電子辞書(ウィキペディア)って便利ですよね。いつもお世話になっております。
ところが、ちょっとびっくりするニュースが、ありました。
日本の省庁が、一生懸命このウィキペイディアを編集しているそうな。
朝日新聞より
「職員個人の職務外行為」で、せっせと役所に都合のいい修正を加える方もびっくりだが、そういうの見破っちゃうのもまたびっくりです。
ネット社会って、だんだんに、監視社会の色彩が強くなってきていると思いませんか?
9月5日の黒板ネタにもしましたが。
台風が渦になるのは、「コリオリの力」という力の影響だそうです。
ものすごく単純に言うと、低気圧に吹き込む風が、地球の自転の影響で、曲がって見えると言うもの。
よくわかりませんね。
そこで一気に飛躍して、世の中の渦巻きって、何でできるんだろう?
人間には、つむじってありますよね。
犬や猫には、ないような気がします。
もし、もしですよ。
つむじができたのが、人間の直立二足歩行と関係があって、渦の向きがコリオリの力を受けてたりしたら、すごい発見じゃないですか?
人類のルーツに迫れるかもしれません。
その前に、コリオリさんを理解しないと。
ちなみに、コリオリの力と、フーコーの振り子って関係があるんですね。
高校生の頃に「フーコーの振り子」というとても分厚い本をなぜか買ったのを思い出しました。
昨日はタクシー帰りでした。(最近多い。。。)
あまりに疲れていたので、タクシーの運転手さんと、とりとめもない話を。。。
っと、思ったら、話がそれて、それて、
最近の中高生の話になり、
塾の話になり、
運転手さんのご家族の話に。。。
ここには書けませんが、人生本当にいろいろだなあと、感じました。
ドラマみたいなことって、でも現実の方が、よっぽどすごいですね。
すごすぎる現実は、ドラマにしようとすると、うそっぽくなっちゃうんでしょうね。