現代が受けている挑戦

2007年 9月 25日(火曜日)

著者: A.J.トインビー

ごくごく掻い摘んで書くと、

1.核問題、食糧問題は、地球規模で考える必要があり、そのための政治が必要である(該当問題に限る小さな政府)が、果たして可能であろうか?

2.問題は技術的なレベルではなく、人類の心理的な問題である。

3.人類の歴史(100万年~1万年)を振り返ったとき、人類は離散と統合を繰り返している。

4.特に産業革命を経て、西欧が一時的な優位を確保した時期に、西欧の技術とともに、個人主義も拡散した。

5.しかし、個人主義では、核を抱える人類の未来は開けない。

6.心の問題をどう扱うか、他者に対する寛容をどこまで持てるか、が今後の人類の課題である。

1966年という冷戦構造のさなかに書かれたものである。

2001年9月11日のニューヨークテロの際に、立花隆が「今読むべきは、『文明の衝突』よりも、『現代が受けている挑戦』である」と著したことで、再び脚光を浴びることに。(というか、私が読むきっかけとなった)

現代においては、核の問題、食糧の問題の他に、環境問題が脚光を浴びている。その他、狂牛病(BSE)問題、エイズ問題など、国ごとにばらばらの対応をしていては間に合わない問題が、多々ある。

私自身、オリンピックと言うものにも、昔から少々疑問があった。なぜ国なんていう単位で、争わなければならないのか?紅白歌合戦も同様である。なぜ、男女で勝ち負けを競うのか?なぜ、もっと合理的に考えられないのだろう?

その後私も多少の経験をつんで、紅白歌合戦は同でもいいですが、境遇を異にする者同士が、本当にわかりあうことは、互いの歴史を理解し、将来に対する合理的な計算を行う、という相当高度なコミュニケーションが必要であることを学んだ。

また、おそらく人間に限らず、生命の本能として、種の存続よりも、個体の存続を優先させることも。

果たして人類は、破滅と協調と、どちらを選択するのだろうか。

私は、歴史に対する理解、未来のための合理的計算、国際的コミュニケーションの実現を信じています。

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